政治家は命の重みを学べ(8月16日付朝刊34面「戦争のない世の中を」に思う)

終戦記念日の全国戦没者追悼式における天皇陛下のお言葉は、同じような文面でも感じられる重みが全く違う。なぜかをずっと考えてきたが、現時点の結論はこうだ。陛下のお言葉は、一人一人の国民の苦労、苦しみに寄り添うという、その基本姿勢から発せられているから、出発点がひとつの命の大切さ。一方安倍首相が、戦争や安全保障について語るとき、戦争は外交の一手段であり、国民は国家を構成する一要素、要するに「駒」であるという意識が透けて見える。したがって、戦争はなるべく避けますけれど、必要な時はやりますから、自衛隊さんはしっかり働いてくださいねと。両者の発想における、命の捉え方、重みは、全く異なる。いや、重みどころか、命が有機質で人間的に捉えられているか、無機質で机上の一要素として扱われているか、正反対だ。先の大戦で、人の命は鳥の羽根よりも軽く扱われ、兵隊の過半数は、戦闘ではなく飢えで死んでいった。戦後の政治は、その命の重みをしっかり受け止めようというところから、再出発したはずだ。ところがイラクや南スーダンに派遣された自衛隊は、危険地で戦闘に巻き込まれているのに、政治的な理由から「戦闘地帯ではない」とされ、現場の危険性が正しく国民に伝わらない状況下で任務を遂行せざるを得なかった。戦時中の大本営発表と変わることのない情報隠蔽。それでも政治家は責任を取らない。そんな社会でいいのか? 政治家も国民も、命の重みを噛み締め直す終戦記念日としたい。それを毎年想起させてくれる陛下のお言葉への感謝とともに。

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