忘れることの代償は大きい(7月27日付朝刊6面「75回目の夏が来た」に思う)

太平洋戦争の終戦から75回目の夏がやってきた。平均寿命に近い年月が流れたことで、戦争体験を直接聞く機会は激減している。私は親が終戦を学生として迎えた世代なので、空襲や疎開の話を聞かされたのを思い出す。しかしそれを子供の世代に語り継ぐ機会は減り、直接の体験でもないので現実味も少ない。そんな世代だが、戦争の扱いがどんどんと軽くなることには強い危機感を感じる。例えば敵基地に対する先制攻撃の議論。侵略戦争の多くは自衛の名のもとに始められることを実体験し、だからこそ戦争放棄の現憲法を作ったのではなかったか?それがいつしか専守防衛となり、敵基地攻撃まで防衛の範囲となる。歴史に学ばないこと、歴史を塗り替えることが、どれだけ大きな代償を払うことに繋がるのか。実体験する前に、戦争体験世代とその二世世代が責任を持って止める責務があると感じている。

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